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弁護士の中島哲です。札幌で知的障害のある息子の親をしながら弁護士をしています。
令和8年(2026年)2月18日、最高裁判所の大法廷で、日本の司法の歴史に刻まれる極めて重要な判決が出されました。
それは、警備業法という法律の一部を「憲法違反」と断じたものです。
1 司法の「宝刀」が抜かれた14例目の判決
最高裁が、国会の作った法律そのものを「憲法違反(法令違憲)」と判断することは、滅多にありません。戦後の長い歴史の中でも、今回でわずか14例目。司法が「伝家の宝刀」を抜いた、非常に重い決断です。
問題になったのは、警備業法の「被保佐人(障害などで手伝いが必要な人)になったら、即、警備員をクビ」というルールです。裁判所は、仕事が十分にできている人を「制度を利用した」という理由だけで一律に排除することは、憲法が保障する「職業選択の自由」と「法の下の平等」に反すると認めました。
2 割れた結論:賠償は認めるべきか、否か
今回の判決で特徴的なのは、15人の裁判官の意見が激しく割れたことです。
多数意見(10名): 法律は「違憲」だが、国に賠償責任はない。
反対意見(5名): 法律は「違憲」であり、国は賠償責任を負うべきだ。
さらに細かく見ると、「いつから違憲だったのか」「いつからその違反が明白だったのか」についても、裁判官によって驚くほど多様な意見が出されました。この激しい議論そのものが、この問題の根深さを物語っています。
3 多数意見の「危うさ」
多数意見は、結論として国への賠償を認めませんでした。その理由として「社会の意識が変わったのは最近のことだから、それまで国が放置していたとしても仕方ない」という論理を展開したのです。
これに対して、三浦守裁判官は、反対意見の中で極めて鋭い、そして本質的な批判を投げかけました。
「取り分け、本件規定が違憲となるに至っていたことやその時期についての判断において、労働者について障害を理由とする差別が禁止されるべきであるとする考え方が確立したという事情を理由とすることは、少数者の権利の保障が多数者の承認を条件とすることにつながりかねない。そのような条件が、基本的人権の保障及び個人の尊重という憲法の基本理念に反することは明らかである。」
多数派の裁判官たちの理屈だと、「世間のみんなが『差別は良くないね』と認めてくれるまでは、その差別は憲法違反にはならない」ということになってしまいます。
でも、憲法が守る「基本的人権」とは、本来そういうものではないはずです。
4 多数派という名の「新しい独裁者」にならないために
民主主義において「多数決」はとても大事なルールです。しかし、それと同じくらい大切なのが、個人の尊厳を守る「自由主義」です。
もし、多数派の理解が得られるまで少数者の人権が守られないのだとしたら、少数者にとっての支配者が「皇帝」や「独裁者」から「多数派」という集団に変わるだけのことになってしまいます。
多数派がうっかり見過ごしてしまった、あるいはあえて無視してしまった少数者の権利を、たとえ世論を敵に回してでも守り抜く。それこそが憲法の存在意義であり、最高裁判所(司法権)に託された最後の砦としての役割のはずです。
「みんなの意識が変わったから、ようやく権利として認めてあげる」という考え方が裁判所のスタンダードになってしまうと、障害者の権利、さらにはまだ理解が進んでいない別のマイノリティの権利も、ずっと後回しにされてしまうことになります。
今回の判決は、結論としては「違憲」という大きな前進を勝ち取りました。
しかし、三浦裁判官が指摘した通り、障害者の権利が「多数派の承認」という不安定な土台に乗せられているという事実は、一人の親として、また法律に携わる者として、非常に大きな危惧を抱かざるを得ません。
「最初から、当たり前に持っているのが権利である」
この当たり前のことを、これからも丁寧に見つめ直していきたいと考えています。
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