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弁護士の内田信也です。
新・人間裁判(生活保護引下げ処分取消請求控訴事件)の控訴審の結審の日(2024年9月5日)に弁護団を代表して意見を申し上げました。
このコラムでもご紹介いたします。
1 裁判官による結論の違い
2021年3月29日に札幌地裁で敗訴判決を受けてから丸3年、原告らの思いをわかっていただこうと、たくさんの準備書面を提出いたしました。そこで展開した主張や分析は、全国29の訴訟の原告・弁護士・研究者らの英知の結晶であり、国民の共有財産であると自負しております。その結果、地裁判決では、勝訴判決が17で、敗訴判決は11というこれまで日本の司法界では経験したことのない光景を私たちは見ることができております。
どの訴訟も裁判の前提事実は同じで、原告の主張と証拠もほぼ同じです。違っているのは「裁判官」だけです。裁判官による結論の違いは何によって生じたものなのでしょうか。
それは、「貧困」の実態を知ろうとする真摯な態度とそこで生きている人の苦しみに共感する感性・想像力の違いだと思います。
2 生活保護者の実像と惻隠の心
生活保護者の実像を知ってもらうために原告は、毎回、名前と顔だけでなく知られたくないプライバシーをも明らかにして意見陳述をいたしました。生活保護に対する偏見・バッシングの中ではとても勇気のいることでしたが、皆、人間らしく生きる為に立ち上がりました。原告たちは、精神障害・疾病・身体障害・家庭崩壊・高齢などで、働くことのできない社会的な弱者です。しかし、好きでそうなったわけではなく、自己責任を問うことはできない人たちなのです。そういう人たちには優しく手をさしのべなければなりません。それが、「惻隠の心」というものです。
3 生活保護問題に関する歴史の生き証人
私は、裁判官のみなさんには是非、細川久美子さんの意見書(甲290の1号証)をお読みいただきたいと思うのです。細川さんは、本日、85歳になりました。生活保護問題に関わって45年、生活保護制度の表も裏も、光と影も、全てを知り尽くしている「歴史の生き証人」です。
意見書を読めば、生活保護者は、昔も今も、そしてこれからも、ギリギリの生活を強いられていることがわかります。「スーパーで安くなるのを待って買う生活」を想像できますか。ひょっとしたら「自分も仕事帰りにスーパーに立ち寄り、値引きされたものを購入することがある。家計も助かるし、恥ずかしいとは思わない。」と考えるかもしれません。しかし、そこには決定的な違いがあります。皆さんは、通常価格でも買うことができます。ただ、「安くなってラッキー!」という感じでしょう。つまり、通常価格でも値引価格でも、欲しい商品を自分の意思で選択して買うことができるのです。しかし、生活保護者は通常価格では買えないのです。値引価格の商品しか買えず、安売り時間帯になるまで待つしかないのです。つまり選択する自由がないわけです。この「選択する自由がない」ということは、とても悔しいく、恥ずかしく、わびしいものです。「貧困」ということを味わったことのない人には、生活保護者の貧困感は、なかなかわかるものではありません。ですから、しっかり想像してほしいのです。
4 統計や数字ではなく、実生活を
国は、統計や数字、難しい計算式を持ち出してデフレで物価が安くなったといいますが私たちは統計や数字で生きているわけではありません。実際に買い物をしてみればすぐわかりますが、細川意見書の12頁から22頁にあるように。生活保護者に一番必要な食費と水道光熱費は高くなることはあっても安くなんかなっていないのです。数字では生活保護者の息づかいや温もりや鼓動はわかりませんから要注意です。
そんな中で、生活扶助費を引き下げたらどうなるでしょう。1ケ月580円減額になると年間で6960円の減額です。ギリギリで全く余裕のない生活保護者は一食分を二食に分けたり、三食を二食に減らしたりせざるを得ないのです。
5 札幌地裁判決の誤り
札幌地裁判決は、原告らが「食費を節約するために購入する食材が限定されたり、安売りとなった食材を購入したり、1日2食にしたりしている者もあり、相当程度制約された生活を送っていることがうかがわれる。」と原告たちの現状に理解を示すのです。 ところが、その後がいけません。「しかしながら、切り詰めた中でも食事の内容が社会的に許容し難い程度とまでは認められないし、酒、たばこなど嗜好品への支出がある者もいる。」「古い電化製品の買い換えが困難な状況がうかがわれるが、冷蔵庫や洗濯機を保有して使えているではないか。」更には、「新聞を講読したり、カラオケに行ったりする機会を有している者もいる」として、最低限度の水準を下回っているとまでは認められない、というのです。「1日2食にしてもまだ我慢しろ」ということは、「食えているのだからいいじゃないか。食えなくなってからいらっしゃい」と言っているようなものです。
それだけでなく、「親族・友人の葬儀に包む香典を用意することのできないので参列できない辛さ」を「個人の価値観によって様々である」と切り捨てます。しかし、身内が亡くなった場合、香典を持たないで葬儀に参列することはできません。また、知人・友人が亡くなったと聞いて駆けつけるのは社会の常識です。「最後のお別れをしたい」という人として当たり前の気持ちがわかってもらえないのです。裁判官は自分の言っていることが、「健康で文化的な最低限度の生活」とどう調和するのか、おかしいとは思わないのです。絶望を通り越して「怒り」を感じます。
6 「ああ!生まれてきてよかったな」と思える生活をしたい
原告たちは、「もっと保護費がほしい」と求めているわけではありません。「減らさないでほしい」と願っているのです。
「男はつらいよ」の寅さんは、映画の中で甥の満男から「人間は何のために生きているのか」と尋ねられて、「ほら、ああ!生れて来てよかったなって思うことが何べんかあるじゃない。ねえ、そのために人間生きてんじゃないのか」と答えました。
札幌地裁判決は、「健康で文化的な最低限度の生活は、抽象的かつ相対的な概念だ」といいましたが、違います。それは、寅さんの言う「ああ!生まれてきてよかったな」と思える生活のことです。1日2食にせざるを得ない生活を強いられて「生まれてきてよかった」と思う人がいるでしょうか。日本の生活保護制度の実態は、保護基準の引下げにみられるように、そうはなっていません。優しくないどころか、実に冷たいのです。だから、原告たちは、立ち上がりました。「ああ!生まれてきてよかったな」と思える生活をしたい。ただそれだけなのです。
法理論的には、デフレ調整とゆがみ調整の虚構性・欺瞞性をあますところなく明らかにし、国側の主張を完全に論破したという自信があります。札幌地裁の誤りをただし、すっきりとした勝訴判決をいただきたい。10年間で何人もの仲間が亡くなりました。負けるわけにはいかないのです。
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