北海道、札幌を中心とした法律事務所です。財務整理や民事事件など多様な法律問題の解決に取り組んでいます。

 

公契約条例の制定に向けて

 弁護士の渡辺達生です。

 皆さん、「公契約条例」という言葉をご存知でしょうか?
 私は、ここ数年、貧困問題への関わりを深めていますが、その関係で、ここ1年、札幌市の公契約条例の制定を目指す運動に関わっています。日本弁護士連合会で、私も関わって、公契約条例についての判りやすいリーフレットを作成していますので、公契約条例が何かについては、まずは、そちらをご覧ください。
 リーフレット:http://www.nichibenren.or.jp/library/ja/committee/list/data/leaflet_koukeiyaku.pdf
 このリーフを見ていただければ、良くお分かりいただけますが、低価格競争により、委託費が低下し、労働者の賃金も低下し、行政サービスの質も低下し、ひいては地域経済全体が沈滞するという悪循環に対し、ストップをかけるのが公契約条例です。公契約条例は、適正な委託費を確保し、労働者にも適正な賃金を支払い、行政サービスの質も向上させ、ひいては地域経済全体を活性化させるというものです。一言でいえば、自治体の「反貧困宣言」と言えるものです。巷では、安倍のミックスによる景気の回復が言われていますが、公契約条例は、デフレの大きな原因の一つである労働者の賃金の低下にストップをかけるものであり、私としては、安倍のミックスより遥かに景気の回復に有効であろうと思っています。
 札幌弁護士会の会員でもある札幌市の上田市長は、3期目に入った2011年度から公契約条例の制定に具体的に取り組んでいます。札幌市は、2012年2月、第1回定例市議会において、「札幌市公契約条例」を提案しましたが、業界団体の反対等が強く、1年以上に渡り「継続審議」が続けられ、現在も制定には至っていません。
 継続審議が続くことは到底、納得できず、お話したいことは沢山あり、ここには書ききれませんが、今後も、私は、公契約条例の制定に向けて取り組みを強めていきます。私は、札幌市公契約条例の制定を求める会(反貧困ネットワーク北海道、連合北海道札幌地区連合会、札幌地区労働組合総連合等の団体と弁護士で構成)の事務局長を務めており、求める会の活動を逐次、ホームページのトピックスに載せていきます。皆さん、是非、ご注目ください。

再審の手続

アップロードファイル 137-1.jpg

 (駿府城の水面に舞う桜吹雪)


 弁護士の笹森学です。

 現在、私の唯一の本州出張事件は「袴田(はかまだ)事件」という再審請求事件で、静岡地裁で行われています。
 袴田事件はこのコラムでも何回か報告していますが、今回は<再審の手続>について分かり易く説明してみたいと思います。
                             ■
 「再審」とは、裁判をやり直すことで、刑事事件では間違った有罪判決を正す手続です。間違った有罪判決を正すということは裁判所がひとたび決めた判決をひっくり返すということです。
 日本の刑事裁判は基本的には三審制で、地裁、高裁、最高裁と3回裁判を受けられます。受け終わると刑事裁判の判決が「確定」します。確定するとは、裁判所が、誰かが犯罪を犯した事実があったと決めたうえ、その者の刑を決めたことが「誰にも動かせなくなる」ことです。
 それをひっくり返すのですから、再審をするための条件は厳格です。
 まず、再審の裁判を開くことを決めてもらわなくてはなりません。これを「再審開始を請求する」と言います。
                             ●
 再審開始の請求が認められるには、大別して2つの場合があります。
 1つ目は、裁判に関わった警察や検察に証拠偽造などの不正がありそのことが裁判で確定されたような場合です。
 2つ目は、常識的な一般人が合理的に考えて、確定判決が間違っているのではないかと疑わせる新しい証拠を発見できた場合です。ほとんどの再審請求は、この2つ目のやり方で行われます。この場合が「有罪の判決を受けた者に対し、無罪を言い渡すべき明らかな証拠を新たに発見したとき」(刑事訴訟法435条6号)です。一般には「新証拠が発見できた場合」と呼びます。
 再審請求を受けた裁判所が、新証拠が発見できた場合と認めると、「〜が言い渡した有罪の判決につき、再審を開始する」との決定を下します。
 この決定に対しては、有罪の判決を受けていた者または検察官が基本的には高裁へ即時抗告、最高裁へ特別抗告することができます。結局これまた3回裁判が行われ、「再審開始」の決定が「確定」すると、ようやく「再審の裁判」が開始されることになります。
                             ▼
 そして、再審の裁判は「確定した判決が言い渡される直前」から再び審理が始められることになるのです。
                             ★
 「袴田事件」は、袴田巌さんという元日本ランカーのプロボクサーが、1966(昭和40)年6月に静岡県清水にある味噌会社で専務一家4人を小刀で刺し殺して現金を奪い火を放ったとして起訴された住居侵入・強盗殺人・現住建造物放火事件です。袴田さんは警察で連日十数時間にも及ぶ厳しい取調べを受け、寝るために一旦床に入ったが起きてパジャマで犯行に及んだ、との自白をさせられました。ところが翌年8月、工場の味噌樽から血染めの「5点の衣類」(白半袖シャツ、緑のブリーフパンツ、ステテコ、スポーツシャツ、鉄紺色ズボン)が発見され、検察官はこれが犯行着衣だとして主張を変更、静岡地裁はパジャマで犯行に及んだとする袴田さんの自白調書45通のうち44通を信用できないとして証拠から排除しながら、死刑判決を下しました(白半袖シャツの破れた右肩部分にB型血痕が付着しているのは犯行時の格闘で生じた袴田さんのものでシャツは袴田さんの物との大きな根拠とされています)。高裁ではズボンを履けませんでしたが、袴田さんが太りズボンが縮んだとして死刑は維持され、最高裁でも5点の衣類は袴田さんの物として死刑が確定しています。
                             ▲
 袴田さんは精神を病んだため、現在、姉の袴田ひで子さんを保佐人として第2次再審請求をしています。
 今回の再審請求では、血染め5点の衣類について2人の法医学者によるDNA鑑定が実施されました。弁護側推薦の鑑定人は5点の衣類から発見されたDNAは袴田さんのDNAではなかったとしました。検察側推薦の鑑定人も半袖シャツの右肩血痕部分のDNAは袴田さんの DNAではなかったとの結論を出しています。
弁護側では袴田さんの犯行を疑わせる新証拠だと主張して、引き続き証拠調べや証拠開示を求めています。検察側はDNAの鑑定結果は「再現性のない」(2度と同じ結果を出せない)もので証拠価値はないと反論しています。
                             ♥
 私は、2人の鑑定人を尋問し、DNA専従弁護人2人と協力して100頁を超えるDNA鑑定の結果についての「意見書」を作成しました。2人のDNA鑑定結果は新証拠にあたるとするものです。3月28日に静岡入りし、29日の昼まで意見書の最後の仕上げをして、夕方に記者会見をして来ました。
 静岡地裁は駿府城址外のお濠端に建っています。城址内のお濠端には大きな枝を伸ばした桜が並んでおり、当日は桜吹雪がお濠の水面を覆って、とても素敵な光景でした。
 さて、再審請求は「桜咲く」なのか「花と散る」のか。私の胸は張り裂けそうです。

奨学金〜返せないときの手段〜

 弁護士の橋本祐樹です。奨学金問題、第4部です。

 奨学金の返還が困難なときは、返還期限の猶予、返還免除、延滞金の減免、減額返還制度等があります。

 返還期限の猶予は、病気等や経済的困難性を要件とし、通算で5年しか認められません。また、延滞状態の解消をしないと利用できない等の制限もあります。

 返還免除については、死亡、労働能力の喪失等の返還を困難とする事情が必要となります。

 延滞金の減免は、「真にやむを得ない事由」が必要です。責任がないのに延滞金が発生した場合や、死亡や障害がある状態で、機構が認定したときに認められます。

 減額返還制度はも経済的困難性を要件としていますし、延滞状態の解消をしないと利用できない等の制限もあります。

 以上のような諸制度がありますが、いずれも要件が厳格なうえ複雑で、利用するにはハードルが高いです。そのうえ、そもそも、このような制度があることについて周知が不徹底であり、要件を満たす人でも知らないまま返し続けるということもあります。
 これらの制限は緩和されなければならないと思います。

 以上の制度を利用できない場合でも、債務整理をすることが可能な場合があります。

 これまで見てきたように、現在の学費と奨学金が原因で、若者の人生設計を困難にし、志がある若者が経済的理由で夢を追いかけるのを断念するというような状況を生み出しています。
 今後あるべき方向性は、学費の無償化と給付型奨学金の導入であることは間違いありません。「先進国」と呼ばれる国々が加盟するOECD加盟30か国のうち、約半数は大学授業料が無償化されていますし、約9割の国で給付型奨学金が導入されているのですから。大学授業料が無償でなく、かつ、貸与型の奨学金を導入しているのは、30か国で、日本だけなのです。

 貸与型奨学金を前提として、返済困難な方の救済、貸与型を前提とした制度改善を目指しつつも、最終的には、学費の無償化と給付型奨学金の導入が何より必要だと思っています。
 このような目標の下、奨学金問題に取り組んでいきたいと思っています。

奨学金〜返したくても返せない〜

 弁護士の橋本祐樹です。奨学金問題、第3部です。

 日本学生支援機構の奨学金は、従来の日本型雇用を前提としています。企業の業績は右肩上がり、終身雇用で給与も右肩上がり、というモデルです。
 しかし、現在、非正規雇用の割合が増加していますし、正規雇用であってもブラック企業に就職してしまったりして心身を壊し退職したり、リストラされたりと、雇用は不安定になっています。

 このような場合、低賃金であったり、賃金を失ったりすると、奨学金を返そうと思っても返せない状態が生じます。
 では、奨学金の返済を延滞するとどうなるでしょうか。

 まず、奨学金を延滞すると、延滞金がつきます。これは元本に対して年利10%です。延滞金が発生した後、返済を再開した場合、延滞金→利息→元本の順に充当されます。ですから、元本の10%以上の返済ができなければ、永遠に延滞金ばかりを払い続けることになり、一向に元本は減らないままになってしまうのです。

 延滞が3か月になると、延滞者情報が個人信用情報機関(いわゆるブラックリスト)に登録されます。ブラックリストに登録されると、ローンやクレジットカードの利用が困難となり、将来設計に影響が出てしまいます。そして、ブラックリストに登録されると、返し終えても、5年間は情報が残ってしまうのです。2012年5月の時点で、1万2000人を超える登録者がいます。

 延滞が4か月に至ると、日本学生支援機構は、延滞債権の回収をサービサーに委託します。「奨学金」という学ぶためのお金、高等教育を支える資金が、一気に「普通の債権」として回収されることになります。2011年度では約7万件がサービサーにより回収されています。

 延滞が9か月に至ると、支払督促の申立が行われます。裁判所から書面が送られてきて、裁判所の手続に引っ張り出されます。支払督促の件数は、2000年に300件あまりだったのが、2011年には1万件を超えるなど、激増しています。

 このように、教育の機会均等のための資金という「奨学金」の性質を無視した、有無を言わさない回収強化策が採られており、返したくても返せない若者を苦しめているのです。

 では、返還が困難なとき、どうすればいいのでしょうか。その方法についてはto be continued…

奨学金〜借りたくなくても借りざるを得ない〜

 弁護士の橋本祐樹です。奨学金問題、第2部です。

 大学の学費は、とても高いです。
 1969年に入学金が4000円、授業料が1万2000円だった国立大学は、1979年には入学金8万円、授業料14万4000円となり、以降ぐんぐんと高騰し、2010年には入学金28万2000円、授業料53万5800円になっています。
 私立大学も、1969年の約22万円から、2010年の120〜150万円へと高額化しました。

 他方、家計の収入は、ここ10年だけでも約100万円下がっています。2009年の世帯収入の中央値は、約438万円でしたから、これで前述した高額の学費を賄うのは困難ですし、仕送りも多くは期待できません。

 このような背景から、奨学金を利用することは、今の学生にとっては当たり前のことであり、奨学金利用者は、大学生で50%を超え、大学院生では60%にもなります。

 そんなにカネがかかるんなら、無理に大学なんて通わないでいいではないか、と思われる方もいると思います。
しかし、高卒者への求人は圧倒的に不足しています。1992年に168万件あった求人は、2010年には20万件に落ち込んでいます。
就職希望者の17%しか正社員として就職できないのです。すなわち、就職できないから、進学をせざるを得ないのです。

 大学在学中、月額5万から12万円の有利子貸与「奨学金」を借りられますが、例えば月額10万円を借りると、利息も含めて、返済総額は約645万円になります。月額2万7000円の返済を続けて、返し終わるまで20年かかります。卒業後すぐ返済を開始しても43歳になります。その間、結婚、出産というイベントがあり、返し終わったころに、子どもの奨学金の連帯保証人になることもあるというスケジュールです。

 では、予定通りに返し続けられない場合はどうなるでしょうか。
リストラ、病気での退職、返し続けられない要因はたくさんあります。
 返済が遅れた場合については、to be continued…

奨学金問題対策全国会議を設立


 弁護士の橋本祐樹です。

 「奨学金」と聞いて、「大学に通う際に奨学金を利用した」、「育英会って聞いたことあるなぁ」、などみなさん様々思うことがおありだと思います。
 しかし、この「奨学金」が高い学費と回収強化策と相まって、若者とその家族の生活を苦しめていることをご存じでしょうか?

 私は、司法修習生の給費制の復活を求める活動をしていく中でも、似たような構造にある奨学金問題に関心をもつようになりました。
 奨学金問題と司法修習生の貸与制とは、受益者負担という誤った理由で国が責任を放棄したため、教育の機会均等を損ね、結果的に能力ある若者や権利の守り手などの社会的資源を活用するという社会・国民の利益を損ねる点で共通しています。

 「奨学金」と言われていますが、本来の奨学金は給付制(=返済の必要がない)を意味します。今の日本の「奨学金」は、貸与制(=返済の必要がある)である点、さらにその約75%が有利子である点で、およそ「奨学金」とは言えず、単なるローンなのです。
 「奨学金」については、このような制度の根本的問題、「奨学金」に頼らざるを得ない学生を取り巻く問題、卒業後の返済をめぐる問題など、たくさんの問題があります。
 弁護士は、卒業後の返済についての問題に着目し、札幌でも奨学金ホットラインが2度実施され、返済に困っている元学生本人や連帯保証人の年老いた親などからの相談を受けました。
2月に日弁連が実施した奨学金返済問題ホットラインには、全国で453件の相談がありました。
 借りたくなくても借りざるを得ない奨学金、返したくても返せない奨学金…「奨学金」は、もはや個人の負担として放置できない社会問題になっているのです。

 このような背景から、奨学金問題の研究者、奨学金問題に取り組んできた労組関係者、教育関係者、弁護士、司法書士などが中心となって、奨学金問題対策全国会議を設立することになったのです。

 3月31日に東京で開催された奨学金問題対策全国会議の設立集会「真に学びと成長を支える奨学金を目指して」には、約200名の参加があり立ち見が出るほどで、またマスコミも10社が取材にくるなど、関心の高さが表れていました。

 ここまで読んで、「おれのころの奨学金とは事情が違うようだなぁ」と思われている方も多いと思います。
 具体的な違いについては、to be continued…
 (本日から4日間、奨学金問題について連載します。)

命の雫裁判、勝訴判決の意義

 弁護士の佐藤博文です。

 2006年11月に札幌の自衛隊真駒内基地で起きた徒手格闘訓練死事故(被害者は沖縄出身の20歳の青年)の損害賠償請求事件について、3月29日午後1時15分より、札幌地裁で判決言い渡しがありました。
 自衛隊の海外派兵・地上戦が現実化する中で強化されてきた徒手格闘訓練は、急所を素手で打撃するなどして相手を殺傷するというものです。弁護団が行った情報開示請求により、航空自衛隊では「業務事故」の半分が徒手格闘訓練だということが判明するなど、重大事故が多発しているものです。
 この危険性について、裁判所は「訓練に内在する危険」と述べ、訓練自体の危険性を司法が初めて認定し、部隊の責任を明確に認めました。
 自衛隊の戦争向けの実戦的訓練にブレーキをかけ、自衛隊員の生命・身体をまもる大きな力になる判決です。私のもとには、さっそく現職自衛官から歓迎のメッセージが届きました。

 原告としては、国に控訴を断念させ、全国の自衛隊で多数発生している徒手格闘訓練事故の検証と中止を求めていきます。実はすでに海上自衛隊では、2008年に起きた広島・江田島基地の徒手格闘訓練に名を借りた暴行死事件を契機に、徒手格闘訓練が中止されたという経緯があります。

 なお、判決後に弁護団として声明を出しておりますので、ぜひご一読ください。
 声明:/news/archives/125.html

 

当事務所は東京の債務整理専門事務所とは何らの関係もありません。

弁護士中島哲です。

札幌市内にお住まいの方、最近、新聞の折り込みチラシで、よく、東京の法律事務所の債務整理相談会の広告が入っていませんか?

昨日、ある相談者の方から、東京の某事務所の相談会で相談しようと思って電話をしたところ、債務整理以外の相談はその事務所ではやっていないという理由で、北海道合同法律事務所を紹介された、というお電話を頂きました。

当事務所としては、その事務所から何ら依頼者の紹介を受けるような関係にありませんので、一同、驚いております。

いかなる形であれ、当事務所と繋がって、ご相談頂くことはありがたいことだと思いますが、そういった北海道で債務整理の相談会を開催するようないわゆる債務整理専門の法律事務所と当事務所とは何らの関係もありませんので、ご注意下さい。

また、債務整理相談は、もちろん当事務所でも受け付けております。
以下のコラムなどもご参照下さい。
/news/archives/49.html

ウインタースポーツの思い出

 弁護士の安部です。

 道路の雪もとけ始め、足元の悪い時期になりました。ウインタースポーツが楽しめるのもあと少しですね。

 私は、高校を卒業するまでは本州にいたので、北海道に来て初めて、根雪や雪どけというものを体験しました。
 ウインタースポーツなどもこちらに来てから始めたのですが、スキーは高校の修学旅行で体験したことがあります。
 3泊4日の修学旅行だったのですが、観光などは一切なく、とにかくずっとスキーをやるというもので、修学旅行というよりスキーの強化合宿のようでした。
 しかも、修学旅行中に風邪が流行り、生徒は皆同じ部屋で寝泊まりしているためにあっという間に風邪が蔓延し、200名以上が旅行先のホテルで寝込むという大惨事になりました(新聞にも載りました)。
 幸い私は風邪をひかず、元気に過ごすことができましたが、本当に大変な修学旅行でした。
 ちなみに、学校側が懲りたのか、翌年から修学旅行先が広島観光に変更になったそうです。

 暖かくなったとはいえ、まだ気温が低い日が続きます。
 皆さまも体調にはお気を付け下さい。

卒業式の思い出〜知的障害を持ったとP君のこと〜

 弁護士の安部です。

 3月まであと1ヶ月ちょっととなりました。
 3月は卒業式のシーズンですが、卒業式といえば、私は、中学校の卒業式が一番記憶に残っています。

【小学校の頃】
 中学校の卒業式の話をする前に、少し、小学生の頃の話をさせて頂きます。

 小学生の頃、同じ学年に知的障害をもつ男の子(仮にP君とします。)がいました。養護学級などはない小学校だったので、P君は、私達と同じ教室で学んでいました。
 しかし、授業についていけなくて面白くないのか、授業中、P君は校舎内や校庭を1人でうろうろしていることが多く、先生達もそれを黙認していました。
 小学生だった私は、授業を受けずに自由にできるP君をうらやましいと思ったこともありましたが、今思うと、P君は、本当は私達と一緒に教室で勉強をしたかったのではないでしょうか。
 というのも、体育や図工、音楽など、P君でも参加できる科目の授業は、P君はとても楽しそうに出席していましたし、休み時間なども、P君はとても明るく、楽しそうだったからです。しかし、そんなP君が、1人で校舎内をうろついているときは、驚くほど無表情になるのです。
 できるなら、学校側が、算数などの時間にもP君が教室にいられるように、P君でもできる問題を特別に与えるなどして、P君がみんなと一緒に勉強できる環境を整えてあげるべきだったのでしょうが、当時、そのような配慮はありませんでした。
 P君が、毎日どんな思いで学校に来ていたのか、今では知る術もありません。

【中学校進学】
 その後、P君と私は同じ中学校に進学しました。
 中学校でも養護学級などはなかったので、P君は普通のクラスで生活していました。
 小学校が2クラスしかなかったのに対し、中学校は1学年で約20クラスという、いわゆるマンモス校だったため、中学に進学してからは、P君と会うことも、P君の噂を聞くこともなくなりました。
 ごくたまに、登下校時、遠くに1人で歩くP君を見かけることはありましたが。
 そんな状態だったため、中学校を卒業するころには、私は、P君のことを思い出すこともあまりなくなってしまっていました。

【卒業式】
 そして、中学校の卒業式の日。
 校長先生の挨拶になったとき、ふいに校長先生が、「P君は毎朝、誰よりも早く学校に来て、職員玄関で先生達全員にスリッパを出し、そして、先生達の靴を下駄箱にしまってくれました。P君は、毎朝、笑顔で、元気な声で挨拶もしてくれるので、先生達は毎日を気持ちよく過ごすことができました。ありがとう。」とP君を名指しで誉めたのです。
 それまでの学校生活で、私の知る限りでは、P君が全校生徒の前で誉められたことはありませんでした。そんなP君や、P君のご両親にとって、卒業式という晴れ舞台でのこの校長先生の言葉は、どんなにかうれしい出来事だったでしょう。
 この日、校長先生が名指しで誉めたのはP君だけでした。

 今なら、このようなことをすれば、えこひいきだなどと言って怒られてしまうこともあるかもしれません。
ですが、私はこの校長先生のはからいは、とても素敵だったと思っています。
 P君にとって、学校生活が楽しいものであったかどうかは私には分かりませんが、少なくとも、この卒業式は、P君にとって誇らしい思い出になったのではないでしょうか。

 子を持つ親になった今、全ての子ども達にとって、学校生活が心から楽しいものになるように願わずにはいられません。
 子ども達が毎日笑顔で過ごせるよう、私達大人が頑張っていきたいと改めて思っています。